2018年5月4日

より関心がある方へ

山谷のまちづくりについて

 

山谷は日本三大寄場の一つであり、戦後から高度経済成長期、バブル期を経て多くの日雇い労働者が仕事を求めて集まる地域でした。また、単なる貧困地域というよりは暴動等含めたより複雑な歴史的・社会的背景があります。その中でどのようにまちづくりを進めていけばよいのでしょうか。

まず山谷の位置ですが、荒川区と台東区をまたぐ下図のような範囲とされています。現在「山谷」という地名は住居表示上は残っていません。

 

 

 

 

 

 

そして地理的背景ですが、山谷は寄場の中でも様々な主体が混在して、明確な境界線のない地域であることがその特徴です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

上記の図は大阪西成区釜ヶ崎との比較ですが、山谷地域では点線に囲まれた三地点に簡易宿泊所が多く集中はしているが、全体的に点在している状態です。つまり、はっきりとした境界線が存在せず、一般住宅や地域の商店、工場、オフィスビル等が混在しています。そのような状況から「福祉のまちづくり」というだけでなく、地域の住民やそこで働く人たちを含めた合意形成からなるまちづくりが重要となってきます。
また、山谷地域は台東区と荒川区をまたぐ形でもあり地域問題の解決をより複雑なものとしています。更に、地域の人にとっての「山谷」の意識的な範囲は昔の町名である浅草山谷町を中心としたものであることが多く、中心部では山谷の名前の復興を唱える人が増えてきましたが、周辺部では未だスティグマ化された「山谷」のイメージを背負っている人が多いようです。

地域の人は「山谷」に対して悪いイメージを持つことが多いですが、その一方、山谷を訪れる人にとってはこの地域が持つ独特な魅力に見いだされる人も少なくありません。それは平たく言えば「誰でも受け入れる寛容性」といった地域的な特性かと思われます。人の交流によって、福祉だけでもなく、観光だけでもなく、多様性を活かしたまちづくりが実現できるのではないでしょうか。

 

1.宿泊だけのまちから滞在するまちへ

2002年の日韓合同ワールドカップをきっかけに、山谷では一般旅行客向けの簡易宿泊所が増えました。2007年から2008年にかけて城北旅館組合が行った調査では、一般宿の宿泊客は、ヨーロッパからが全体の43%、アジアが35%、北アメリカが11%を占めています。また、下記はホテル寿陽の日本人を含めた2014年7月・8月の宿泊客の地域別統計になります。日本人を除くとやはりEU諸国をはじめとするヨーロッパからの宿泊客、東アジアからの宿泊客が多くなっています。他地域と比較してヨーロッパからの宿泊客の割合が多いことが特徴です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

現在はまだ宿泊するだけになることが多い山谷地域ですが、簡易宿泊所とまちの商店が繋がる取組みを増やすことで、外部経済の導入より地域経済の再活性化に繋ぐことができます。簡易宿泊所は、宿泊だけのまちから滞在するまちへ繋げるための重要なツールとなり得ます。

また、一般社団法人結YUIでは主に清掃の仕事を通した就労支援・生活支援を行っています。地域の産業に関わりつつ、社会の中でプライドを持って働くことのできる場を提供するよう心がけています。

 

2.人の尊厳を大事にした支援のあり方

現在山谷地域にある140軒ほどの簡易宿泊所の内、120軒が生活保護時給者を対象とする福祉宿です。そしてありあけ設立の経緯で既述のように、圧倒的多数の利用者がNPO等が運営する無料低額宿泊所よりも自由度の高い簡易宿泊所を選ぶ状況にあります。それは施設にお世話になっているのではない、自立的な宿泊客であるというプライドがその人の尊厳を支えているようです。

それでは、福祉宿の改善を図る方が、当事者のためにもなり地域の環境改善にも大きく貢献するのではないでしょうか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

福祉宿の利用者は身体的な自立度が高くて、収容的な施設の利用は合いません。その中でも、軽度知的障がいや精神障がいのある人、見守りがある方が安心である高齢者、といった利用者に対しては、生活相談や情緒的ケアを伴う見守り型宿泊所との住み分けを促進することでより健全な運営が可能となります。

一般にはあまり知られていませんが、収容的・拘束的な施設から逃げ出して野宿を選ぶ人たちも少なくありません。また、色んな施設を渡り歩く支援困難層、施設困難層ともいうべき人たちが存在します。そういった人たちに対してより人道的な対応をすることで、医療が必要な人には医療に繋げ、居住支援を行うことで地域のホームレス問題の解決の一助となることを目指しています。

また、全ての人が多人数での共同生活に合うわけではありません。そういった人には空き家を活用してアパートやシェアハウス型の居住支援が望ましいでしょう。そして格差社会が拡大しDV被害女性やシングルマザー、不安定就業状態の若者が近年増加傾向にあります。彼らに対する支援の在り方も今後の課題として考えていくべきでしょう。

 

現状、福祉宿が全体的にそういった改善の方向に動いているわけではありませんが、福祉宿の経営者の中には一部「おじさんに選ばれる宿」というコンセプトで施設の改善を図っている人もいます。福祉の分野であってもサービスの利用者、コンシューマー(消費者)による選択という観点が重要視されてきている中、ホームレス状態から生活保護受給者となった方々への支援の場においても同じような観点で宿泊所を運営していくことが当事者の方の尊厳を大事にすることに繋がるでしょう。収容的・拘束的な施設に比較して、簡易宿泊所はそういう潜在力を秘めているのです。

 

3.様々な人が共生する多様性を活かしたまちづくり

山谷では地域住民、元労働者、外国人、生活困窮者、様々な人たちが暮らしています。ですがお互いが同じ場所に集まる機会はほとんどありません。同じ場所にいても、お互いを知らない。そのせいで、誤解が生まれてしまったり、距離ができてしまうことがあります。また、外から来て山谷を知りたいと思う人たちが、気軽に訪ねられるような場所も多くはありません。今、このまちに必要なのは、 山谷に住まう人訪ねる人の「入口」になるような場所ではないかという思いからカフェを開くことにしました。2018年2月中旬オープン予定です。

 

さんやカフェ / SANYA Cafe

ホテル寿陽の一階部分を改修して、カフェを開きます。コンセプトは「山谷の入り口」です。

旅行者には色んな人が来て色んな人が去っていく一期一会の場所。
山谷にすこし興味があるけどどこに行けばいいか分からないビギナーにも訪ねやすい場所。
路上のおじさんたち(今は多くは簡宿の生保の人たち)には、まちの人との挨拶を交わすきっかけになるような場所。
まちの人(地域住民)には、おじさんたちの視点にも触れることができるような場所。
同じ場所に暮らしていて、でもお互いを知らない人たち、そして外から来て山谷を知りたいと思う人たち、それぞれのEntranceに。

カフェでは通常のカフェ・レストランの営業と共に、さんやカフェのSuspended Coffee「思いやりコーヒー」のしくみ、そして地域の清掃活動に参加した人に無償で食事を提供するサービスをはじめます。そうすることで、お腹が満たされるだけではなく、みんなが少しずつまちを好きになり、まちの一員として誇りを持てるようにと考えています。

また、ゆくゆくはカフェのなかに、「宿泊だけのまちから滞在するまちへ」とも繋がるよう、まちの観光情報、仕事、不動産の情報まで得ることができる「案内所」の機能や、不安を抱える人が気軽に生活相談ができるような時間も設けたいと思っています。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

単身高齢男性だけのまち、生活保護で成り立つまち、となるよりは様々な人の交流があることでまちは活性化し、活躍する場所も増えていくことでしょう。より健全なまちづくりが可能となります。

先日70 SeedsというWebマガジンに義平のインタビュー記事が掲載されました。今までの活動の経緯、なぜ山谷でカフェなのか、など分かりやすくまとめてあります。

また、クラウドファンディングのサイトもあります。ご協力頂ければ幸いです。

 

4.山谷から発信する世界平和

東京2020年オリンピック・パラリンピックを前にして、訪日外国人数は年間2,000万人を超え、東京では地価が上昇傾向にあります。ホテル数が急激に増え、不動産投資先として民泊が増加しています。

オリンピックといえば貧困層の排除の歴史でもあると言われています。それは貧困地域における再開発が進み、元いた住民が排除されることが繰り返されたからでした。2016年のリオ五輪では開催会場近くのファベーラと呼ばれるスラム地区の強制立ち退きが行われ多くの貧困層が住まいを失いました。貧困問題の解決が、貧困層の排除による地域問題の解消とされるのならば、それは人としての尊厳を無視した格差拡大を助長する開発でしかないでしょう。

果たして今回が二度目となる東京五輪ではどうなるでしょうか。開発段階の違いもありまた違った状況となるかもしれません。2012年のロンドンオリンピックでは選手村の一部が低家賃住宅として提供されています。ファベーラの一つであるサンマルクではリオ五輪に向けて治安を改善し観光客を誘致することも行っています。排除だけが答えではないことを私たちは学んできています。

それでは山谷地域ではどういった影響があるでしょうか。

 

2020年に向けた持続可能な山谷のまちづくり

 

 

山谷地域には木造で老朽化した建造物が数多くあり、簡易宿泊所もその中に含まれています。また、防火地域に指定されていることもあり鉄骨造やRC造等の耐火構造への建替えが促されています。

実際には福祉宿の経営者は先行きが見えない中、経営上のリスクを恐れ建替えはほとんど進んでいません。一般宿に転換するにしても五輪後の集客に不安がある上、ここ二年ほど一般宿の売上は低迷しており周辺地域のホテル数及び民泊物件の増加が影響していると見られています。2017年は客室単価の低下も進み、このままだと2020年を前に倒産するホテルも出るのではと危惧されているほどです。また、福祉宿としても対象者が高齢化し、更には国の生活保護削減の方針もあり利用者の減少が見込まれる時に建替えをしようと思う経営者はあまりいないでしょう。

そして福祉宿の利用者も、高齢であるため見守りがほしいが収容的な施設には行きたくない、慣れている山谷にいたいという人が多くいます。

 

オリンピックを前向きな機会として活かすために

まず、災害に強い安心安全のまちづくりと、外国人宿泊客の受入れは別の問題として切り分けて考えるべきでしょう。

現状のまま対策が何も進まず、災害への備えができていない状態では、地域の人、宿泊客、そして簡易宿泊所に起居する生活保護受給者にとっても危険です。そこで、考えられる方法としては、まず耐震壁を設け防火構造にする耐震改修を可能とします。そして、訪日外国人数がピークに達するオリンピック・パラリンピックの期間に合わせて改修工事を終え、一時的な一般宿として利用します。その後、元の利用者が他の宿泊所や避難宿泊先から耐震改修の済んだ安心な住まいへと戻る。またこの際に利用者の健康状態に沿って福祉宿、見守り型宿泊所等の宿泊所に案内します。社会的排除でもなく将来性のない過度の経済的負担でもなく、前向きな機会としてオリンピックを捉えることができます。

耐震改修の際には、労働者のまちとしての地域の歴史を再評価し、歴史記念館や、山谷流和風バックパッカー宿として保全改修することも考えられます。中東から来たある旅行客は、『ここは労働者が頑張ってきたまちだろ?』と好感を持っていました。また他の外国人旅行客は『ここは新宿や渋谷と違って静かだし昔の日本のまち並みが楽しめる』と言います。元々あるまちの資源を活かして、宿泊客が回遊・滞在できるまちとして保全する、そしてその昭和のまち並みは元労働者やその他ご高齢の生活保護受給者の方にとっても違和感なく居心地の良いものでもあります。更に、人の交流によってまちが活性化することで雇用やボランティアの社会的参加・参画の機会が増え、まちの一員であるという誇りと信頼感を育み、地域の環境・治安の改善にも繋がっていくでしょう。貧困問題の解決を、貧困層の排除ではない方法で実現していくことで、前回の東京五輪の立役者となった労働者が集った山谷地域自体が2020年のオリンピック・レガシー(遺産)として認められるような、そんな持続可能なまちづくりが実現できないでしょうか。一人でも多くの賛同者がいらっしゃることを願っています。

 

最後に

仮に再開発の動きが加速化し20軒の木造の福祉宿が廃業したとすると約400名の方が行き場を失うでしょう。ある程度都営アパート等で受入れられたとしても、多くの人が次の場所を見つけられないまま立ち退きを強いられ地域に路上生活者が激増することになります。再び暴動といった地域の分断を生む可能性さえあります。

このまちの歴史を鑑みて、分断されてきたまちを繋いでいく、そんな計画が必要です。なぜかというと、まちづくりの物理的方法が多種多様あったとしても信頼関係がなければ共に有機的な活動をすることができないからです。福祉の分野でさえも貧困ビジネスのような利益本位の動きが活発化して、不信感から当事者の一般的信頼感は失われ、自立的な社会復帰の大きな妨げとなってしまいます。生活保護の受給は解決の終着点ではなく、それからはじまる地域生活を支えていく支援体制を考えていかなくてはなりません。「魚を与えるのではなく、魚の釣り方を教えよ」の意味とも類似して、緊急支援の段階から、地域で安心して生活できるような支援の在り方が重要となってきます。支援が必要な人には支援を、医療が必要な人には医療を、就労できる人は就労を、そして社会参加を通して被支援者から地域の住民となり得るような、そんなプロデュースを可能とする支援体制と計画が望ましいと私たちは考えています。

地域の方は、山谷は昔から誰でも受け入れる寛容なまちだった、といいます。江戸時代から日光街道沿いの木賃宿街であり、特に戦後の混乱期から復興期は皆が貧しくて助けあって生きていた、そんな中で人を受け入れて来た土壌が出来てきたのかもしれません。そういった中で多くの人々が山谷を拠点として仕事を見つけ、生活の基盤を築いていったことでしょう。そして「山谷に来たらなんとかなる」と、日雇いの仕事を求めて山谷に多くの人が集まった高度経済成長期、バブル期といった時代もありました。そんな風に山谷という地域は人を再生する役割を果たしてきたとも言えるのではないでしょうか。

時代は変わって近年では、就職活動を目的に若者が宿泊するようになり、日本での就職の機会をうかがって訪日する外国人の若者も増えてきました。画一的になりがちな日本社会に疲れた人たちにとっては、山谷地域は独特の魅力を持つ可能性に満ちたまちに見えます。そして山谷にくれば色んな国の文化に触れられるといった交流を楽しむ国際的なまちとなっていく可能性も秘めています。そういった山谷の多様性を活かした取組みによって、人が、そして地域が再生していく、そんなまちづくりを目指したいと思います。